DoRouGh’s blog

好きなこと、日常を自由に書いていこうと思います。

忘れてもよいこと と 忘れたくないこと

忘れてもよいこと 

 自分で言うのも何であるが、私は忘れることに関しては一丁前の自信がある。仕事で大事な打ち合わせの後に会議の話題を聞かれてもスラスラと出てこない。そのせいで打ち合わせの後に上司に報告を求められた際に困ったことが何度もある。何とかしたいといつも思っているものの、当座のところメモを取ることで何とかその場をしのいでいる現状。ほんのわずかな弁解をすると、昔からそうなのである。昨晩何を食べたのかなど、小学校の頃以来素早く答えられたことなどない。大事なことに限って欲しい情報が思い出せない、そんな経験私だけなのだろうか。その癖、少しキーワードを言われるとふとその時の記憶が蘇ってくる。まるで青春時代に聴いていた音楽を聴くとその当時を思い出すかのように。これだから後味がより一層悪い。会議後の報告に「ああ、こんなこと言っていましたねぇ」なんて言おうものなら失笑される。記憶力がよい人(人並み以上の人)は心の底から羨ましい。

 

 そういえば、今となってはスマホ先生に覚えていただいているような人の電話番号を、昔は自分で覚えていたような気がする。三島由紀夫のような人がそばにいたら「何だそのタイマンな脳みそは」と怒られてしまいそうであるが、覚える必要がなくなると困らないものである。昔のおかげか、友人の固定電話の番号の一部をキャッシュカードの暗証番号にしていたりすることを考えると無機質な番号とはいえ頭の体操になっていたのだなと思う。昔の脳みそ電話帳も悪くないなんて思ったりもする。

 

 

 話を戻すとこんな私なので、学生時代の記憶も当然色あせてしまっている。仕事など大事なことであればその都度メモを取ればいいが、個人の記憶にしかないようなプライベートなことは残念ながら色あせていってしまう一方である。学生時代の酸いも甘い記憶すら消えてしまっていると思うと途端にさみしくなる。

忘れたくないこと 

 身の上話で恐縮だが、学生時代に付き合っていた彼女がいたが、大学になるタイミングで気持ちがすれ違って別れてしまった。喧嘩別れした訳ではないのでSNSでは繋がっていたのだが、最近になって結婚と出産を知った。これらはSNSでの投稿で知った。結婚の時はメッセージを送ったりしたものだが、旦那さんにも気を遣うべきかと思い、いいねのハートマークを押すぐらいしか出来なくなる。一度は愛した人だから面と向かっておめでとうとか言ってあげたいのだが、なかなかできない。

 

 そんな気持ちになれたのも不思議なもので、昔を忘れる力があったからな気もする。喧嘩別れではないものの(今となってはどう言う名目で別れたのかも忘れたが)、最後の方はひどくお粗末な熟年カップルのような喧嘩をしていた記憶がある。時間が癒してくれたようなこともあると思うが、忘れっぽいその性格で理不尽なことに怒った理由や喧嘩の詳細などぼやかしてくれて楽しかったいい思い出ばかり何故か思い出される。何でであろうか、恋人の時のような気持ちはとうの昔に冷めてしまっているというのに。

 

 

 とにもかくにも、先日子どもを無事に出産した彼女に対して、遠くからおめでとうと思うことにする。いつか伝えることができると良いと思いながら。

 しかし、忘れることができてよかった、そんな喧嘩していた日々の記憶など。きっと忘れてよかったことなのだろう。